ニリヒック

誰もいない中核都市のカフェ。

文章は書くのはいつもカフェのような気がする。いつものようにタバコをふかしながら書いている。カフェは精神を少しばかり解放して創作意欲を生むのかもしれないという発見がある。

 

書きたいことはタイトルの通りである。ここ3ヶ月は恋人存在もあってか比較的自律神経が安定していたように思う。しかし、所詮は生理循環の中の一過性のもの。表層的な環境の変化は個人の生理リズムに比べればそこまで身体に及ぼす影響は大きくないと言うことだろう。

これはそこそこの失望でもある。環境をどうこうしたところで、この不便な生理体の働きには抗うことは出来ない(可能性が高い)。どんな場所でどんな人間に囲まれていても、一生この不便な枷と共にやっていくしか無いのだ。これが最近の1番の辛さだと思う。

何をやってもどうしようもないのだ。

結局はどれだけ言っても人間関係だ。人間関係を無くしては何者も満たされることは無い。

いや満たされる必要はないのだが、ただただ、生きる実感の中に埋もれたい。それを得たい。その中に埋まり、酔っていたい。しかし、酔いも生理循環の中ですぐに平静を取り戻していく。そしてすぐに絶望が襲う。

 

何者にも意味を感じない。無気質の中に何らかの抵抗を示すのにも疲れてきた。何もない。おれが作り出す現象的世界には何もないのだ。何もない。幸せにも脳は反応しない。ここまでニヒルになるのは初めてかもしれない。助けて欲しいと思う。そういう時こそ救いとは全く相容れない他者の接触が増える。何なのだ。社会とは。世界とは。何で生きていかなければいけないのか。何故おれはその中で(物理的にも精神的にも)必死に死ぬこともなく、生きようとしているのか。

哲学も思想ももう飽き飽きだ。救いが欲しいという気持ちも枯れてしまった。何も無い。本当に何も。