猿山

権力というのは中枢の方へ行けば行くほど虚無が高まるような感じがしていて、それがあれらのどこと無い気味の悪さを増幅してるんだと思う。とにかく権威的意思決定機関には論理や理想みたいなのは一切介在しないのである。

そんなこと当たり前と言えば当たり前で、そういう虚無性にいつの時代も庶民は好奇心を抱いて歴史を記述してきたわけだし、ただそこをおれも通過しているだけなのだろう。

 

大学時代の自分の思考の記録を見たりするとやはり今よりより広い視点でフラットに物事を捉えられている感じがあって羨ましく思ったりする。

というのも最近は本当に俗に身を染めて、必然性を過大評価するようなことが多く、ダメになっている。思考にバランスを持たせる余裕のある時期に適切に指針を言語化しておく必要があるのかと思ったりもするが、たぶん意味ない。

 

昨日寝すぎたせいか、朝から体調が悪い。