研究意欲

あらゆる知識体系が可謬性から逃れられないという、有史以来自明の論理を思春期あたりで内面化できなかったのは悔しい。 

安定構造に見える概念体系が絶対者に対する人工構築の問い立てでしかないっぽいな(安定してないわけではない)という認識を早く得たかったなと思う。

そうすれば、高校とか大学での勉強が無機質な記号操作とかじゃなくて、自分の問い立てスタイルの構築手段みたいな感じで創作欲がシャキッとした気がする。というか今現在している。

シャキッとするやつは大事でみんな意味があるとかないとかに関心を持つが結局大事なのはバイブスなのだ。

 

絶対者に対する探求は、言い換えれば自己認識の探求に他ならないのではと思うけど、そうした自己認識の探求については、身体の発達に段階があることを考えれば、その深化のために経るべき通過儀礼に適齢期はあるんじゃないかとも思ったりする。するが、たぶん純粋におれの発達が一般人より遅くて適齢期が今来ただけのことなんだろうな。クソだ。

 

向学心というか広義の哲学というかまあ問い続けるやつですが、それによって得た知識をそれ自身が否定しにかかるみたいな地獄の螺旋構造みたいな感じがあって死にたくなったりならなかったりする。デカルトはよく自殺しなかったなと思う。まあでもバイブスのためには死にたくなるとかそんなのはどうでもよいのだが。

 

近況ですが、社会がクソすぎてバイブスでやっていっても普通に死ぬっぽいから仕方なく労働やってるんですが、驚いたことに、半年間で今のところ何の問題も発生してない。真面目にやりすぎている。何もしなかったら何も問題起きないのすごいな。仕事は雰囲気でやるものだ。辞めちまえ。

 

今は高木美帆よく見たらかわいくね??という観念で頭がいっぱいである。女は全員高木美帆ぐらい太もも太くなればいいと思う。

 

駅ついた。